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痴漢おじさんの話

そういえば、小学6年生のとき痴漢というのに遭った。

それは下校の帰り道。

冬の寒空の中、田んぼだらけの中の住宅街をトボトボ歩いていました。

家の近くまで歩いたところ、10mくらい先にちょっと薄汚れた白い車が停まってた。

 

いつものように歩いてたら、白い車の窓がウィーンと開いて

「ねぇ、これ知ってる?」と40代前半くらいのおじさんが

なんだかうれしそうに、どこか興奮気味で話しかけてきた。

 

そのとき「なんだよ、このジジイ」と、無視して走り去ればよかったのに

純粋(?)だった小学6年生だった私は

興奮気味のおじさんの乗る車の傍までノコノコ歩いた。ほんの数歩だった。

 

車をのぞくと、おじさんはズボンのチャックを外し、肌色のモノが出ていた。

 

わたしはその肌色のモノをみたとき、

なぜここでこんなものを見せてるのか意味が分からず

「キャー」と声を上げ家まで高速で走り去っていった。

 

(だけど心の中で、おじさんのあれは小さいなあ。

と、父の体と比較してた自分がいたのも確かでした…)

 

パート勤めの母が帰宅していたので

母にすぐ報告して、家から出て車を確認すると

跡形もなく姿を消していた。

 

母は学校へ連絡し、その週の全校集会で

「ちかんにきをつけましょう」とお知らせがあった。

 

「そういうのはね、モテない男がするのよ!」

なんて、母が自信ありげに話していた。

 

あれから20年以上の時間が経過した。

 

あのおじさんは、今ごろどうしているのだろう。

ちゃんと生きてるのか。

幸せになれたのか。

 

結婚はしていたのか、子どもに自分のあれを見せるなんて

そうとうどうかしていたのだろう。

おじさんは、なにかに悩んでいたんだろう。

 

たぶん、おじさんはモテなかったのかもしれない――。

 

そんな痴漢に遭ったできごとを年に数回思い出しては

ちょっと複雑な気持ちになったり

笑ってしまうのだけど。

 

いちおう、おばさんと言われる歳になり

「おじさんも大変だったんだろう」と考えるようになった。

 

痴漢に遭ってトラウマにならなかったのが不思議なのだけど、

それは、どこかでおじさんを「かわいそうな人」と見ていたからだと思う。

 

トラウマになったできごとを振り返ると

「自分より立場が上の人」

「自分より恵まれてる人」

からの攻撃だと感じる。

 

痴漢に遭いながら、おじさんを「かわいそうな人ー」

と、どこかでバカにし、低く見ていた自分があった。

それが心の傷として残らなかったのだと思う。

そして、そうすることで自分を守ることができていたのだと思う。

 

しかしおじさんの気持ちが、いまでは少しだけわかるような気がする。

 

人は過剰なストレスを感じていたり

ひとりで悩みごとを抱えていると

どうしても極端な方向へ走ってしまう衝動にかられることがある。

 

それが、おじさんにとって

「子どもに自分のモノ」を見せつける行為によって

抱えきれない何かを発散し解放していたのだと思う。

 

そんなわたしも、大人になっても解消できない悩み事だったり

理想と現実の狭間でおかしくなりそうなときがある。

 

だけどそうすることで、果たして自分は幸せになれるのか?

を問うと、一瞬ラクになれる麻薬的な行為だと思う。

 

あの、ちかんおじさんが

今、幸せに生きていることを願う、おばさんになったわたしです。